寝ても覚めても

半分の私は社会人として何食わぬ顔で生活をしていて、半分の私は地面から8cm上のところでゆらゆらと流れるままに漂っている。夢から醒めても夢の中にいるような、あの独特な浮遊感が濱口竜介監督の「寝ても覚めても」にはある。常にどこか現実味がなくぎこちない現実が、リアルに刻み込まれている。

元恋人の麦と、彼にソックリな亮平。映画はその間で揺れ動く朝子の物語だ。麦と亮平、日常と非日常、信頼と疑心、愛と憎しみ。コインの裏と表のようなそれらが、ないまぜになったかと思えばそっと離れて、そしてまた混ざりあう。その繰り返し。

登場人物の感情も、ないまぜのままで観客の前に引き出される。嬉しい、悲しい、悔しい。言葉にしてしまえば分類できた気になってしまうけれど、本当はそこに全てを託すことはできない。本来のそれは雨が降って濁った川みたいに、何種類もの色でできている。その複雑な色を直接スクリーンに塗り込めるように、この映画では朝子の何とも形容し難い顔に何度も向き合う。そこには胸の底を撫でるような不気味さがある。同時に不気味さを許す優しさもある。そんな複雑な色を捉えた映画だからこそ、ロングショットではためく彼女の服の白さが、奇跡のようにただただ美しい。